2009年3月17日火曜日

捨について


捨の心を育てる方法についての質問がありました。

スマナサーラ長老がおっしゃっているように自分の得意な心を育てていく方がいいと思います。

慈悲の瞑想の方がやりやすいなら、

やりやすい方を伸ばしていくのをお勧めいたします。

また日常生活において揺れ動くことなく平静でいるには、

ヴィパッサナー瞑想の実践が一番だと思います。

自分の感情や心を直接見ているうちに自然と以前までなら怒っていたときでも怒らなくなると状態は皆さんも体験済みだと思います。実感がなくても以前ほど怒りが早く消えているかもしれませんね。


【二つの捨】

十波羅蜜のなかの捨波羅蜜と慈悲喜捨の捨梵住は同じではありません。

捨波羅蜜は他の生命が自分に対して親切に接しようが失礼に接しようが、

それに対して喜んだり怒ったりしないで平静でいることです。


捨梵住は自他の関係おいての平静ではなく

全ての生命に対して慈悲喜を生じさせずに捨の心を起こすことです。

四梵住の慈悲喜捨は同時に生じません。

なぜなら一つ一つの心の対象が違うからです。


【捨とは】

慈のように他の生命の幸せを願うわけではなく、

悲のように苦しんでいる生命が、その苦しみからのがれらるように願うわけではなく、

喜のように幸せな生命に対してともに喜ぶわけではありません。

全ての生命は業だけが自分の持ち物であると見て平静でいることです。

例えば海外で戦争などで虐殺されている人々をみて、

その苦しみから逃れますようにと願うのが悲。

しかし一歩間違えると、悲ではなく憂いになることがあります。

暗くいやな気持ちです。

悲は善心と一緒に生じ暗い気持ちにはなりません。

憂いは怒りと同時に生じる不善心所です。

憂いを起こさないように、どうしようもない状態に対して

これも何かの悪業の結果でどうすることも出来ない、

業だけが自分の持ち物であると見て平静な心を育てていきます。

ただ単に鈍感で平気な人も捨のように見えますが、

無知の状態の可能性が高いようです。

ある指導者は第五禅定に達して捨の瞑想をすると早いといいますが、

第五禅定に達するのが大変ですね(笑)


幸せでありますように。