2009年3月16日月曜日

悪(不善)について

悪pæpa(不善akusala)について

仏教で不善とは非があり悪い結果を起こすと定義しています。

【非があり】

殺生、偸盗、邪淫、妄語、酒や麻薬などを服用するなどは不善になります。

お酒に関しては異論がある方が多いかもしれません。

酔っ払って幸せな気分かもしれませんが、酒に酔った状態は不善心が生じています。

文化的には問題ないかもしれませんが仏教的に不善です。

他の四つに対して異論がある人は少ないと思いますが、殺生に関しては殺人は犯罪ですが、ゴキブリを殺しても悪いと思わない人も多かもしれませんが自分が殺されたくないように全ての生命も同じように殺されたくないと自分に置き換えて考えれば分かりやすいと思います。

あまり哲学的に考える必要はなく普通に考えればいいと思います。

もし不機嫌な暗い状態で「悪とは何か」と考えいたら、今の不機嫌さや暗さを取り除くのが先だと思います。

【悪い結果を起こす】

これは証明できません。

世の中には悪いことをやっていても幸せなに生き、長生きする人は少なくないと思います。

悪いことをやっていても悪い結果が起きていない例です。

幸せに見えても心中は不幸だと言う人もいますが、もしかしたら鈍感で不幸に思わないかもしれません。

死んだら終わりならヒットラーなども自殺して終わりです。

行為とその結果を説明するには今生だけでは不十分です。

たとえ本当に神通力を得て自分で前世や来世が分かったとしても証明するのは無理でしょう。

仏教の教義を勉強して理解することは出来ますが、証明できないような業、業果(行為とその結果)、来世や前世はなどは信じるしかないと思います。

悪いことが起こるとすぐに「業」だと言う人がいますが、仏教では何でもかんでも業の結果ではありません。

全てを過去の業の結果だとする考えはPubbekatahetu di¥¥hi 宿作因邪見と言います。

タバコを吸いすぎてガンになったとします。普通タバコが大きな原因の一つです。過去の悪業も少しは関係するかもしれませんが、それは一部です。仕事のストレスや環境、食べ物なども影響があるでしょう。

景気が悪いのも業のせいではありません。

自分がニンジンが嫌いなのも業のせいにする必要はありません。味を感じた瞬間の心は業の結果(異熟心)ですが嫌いだと判断するのは、今生の心です。

仏教の教えを学んで受け入れがたいものがあればそのままにしておくのが一番でしょう。

バイキング形式のレストランで食事をするとき自分の嫌いなものがあっても取らなければいいだけです。

腹を立てて食事をしないで帰る必要はありませんし、不機嫌で食べる必要もありません(笑)

幸せでありますように。