2009年1月20日火曜日

テーラワーダ仏教(ビルマ式?)の葬儀やお墓についてご紹介

お墓・葬儀について
テーラワーダ仏教・ミャンマーの現状

先日、書店で面白そうな特集がありました。

突然、アフェリで商売を始めたわけではありません。(笑)
選択の一つとしてテーラワーダ仏教(ビルマ式?)
の葬儀やお墓についてご紹介します。

「お墓はどうしてますか?」と良く聞かれます。
田舎は土葬のところが多いと思います。
(基本的に僧侶は火葬です。)

昨年の10万人以上の死者がでたサイクロンでは河に流したと聞きました。
今、都会ではほとんど火葬でしょう。

日本の斎場の職人芸、きれいに骨を残す焼き方をせず
なるべく完全燃焼させます。
少し灰が残っていてもほったらかしで混ざっていきますが、
気にしないようです。

日本人が骨に執着する理由は学者にお任せしますが、
テーラワーダ仏教の教えは死んだ瞬間に次の生に結生(生まれる)するので
一般人は遺骨に執着はありません。

しかし、中国系の人は儒教の習慣で一年土葬した後、
洗骨して納骨する人もいます。
当然、テーラワーダ仏教の習慣ではありません。

また、高僧なども火葬後、遺骨を集め供養(おまつり?)することがあります。
それはほとんど信者が勝手にやってるだけだと思います。
しかし、遺言する僧侶もいますが。
教義上は阿羅漢(完全に煩悩がなくなった人)以外の骨は
塔などにして供養しません。
(日本の習慣を否定しているわけではありません)

また、土葬しても日本のような立派な墓石はなく
どこに埋めたか記しつけるぐらいです。
たまに掘っていると、昔の骨が出てくることもあります。

土葬ではなくレンガで棺おけみたいなものを作って
お墓にする人もいます。
想像するのが難しいかもしれませんが、
墓石兼レンガ棺おけです。埋めません。

これは一緒に埋蔵した遺品を盗む
墓泥棒がいるので壊される場合もあります。
中には何も入ってませんと書くこともあると
聞いたことがあります。(笑)

以上、お墓について

葬儀はお見送りする時に
自分もいつかはこのように死ぬのだ
と観想するように勧めます。

そして、長老がたから三帰依・五戒を受けて
護経などを聞いて、衣、日常品、食事、
必要なものを購入するためのお金などをお布施します。

お金持ちは亡くなった人の年齢の数だけ
比丘たちを招待し布施する人もいます。
普通の人は五人ぐらいです。
(本人の予算しだい)
その後、追善供養の意味や功徳について
説法があり、皆で行列して棺おけの周りを
無常偈を唱えます。
(日常読経典p.86日本テーラワーダ仏教協会)
そして納棺して終了。

戒名だいなどありませんが、
亡くなった方の追善供養ですので
出来る限りお布施します。
しかし、功徳は本人が生きているときに
積むのが一番ですので
お寺にお布施しなさいとは言いませんので
アジアの貧しい子供たちなどにお布施すれば
死ぬとき、自分は生きているとき多くの善業を積んだ
と思いながら死ぬことが出来れば
たとえ追善供養をしなくとも
善い世界に生まれることは間違いないと思います。

残された家族や親族の義務として
たとえ善い世界に生まれ変わるのが
間違いないような方だったとしても
追善供養は無くなられた方だけでなく
施主の供養になりますので
お勧めしたします。

新しくお墓の購入を考えている方で
迷っている方はご相談ください。

これ以上日本に新しい墓は要りませんし、
散骨さえも必要もありません。

個人的には土葬で土に返したほうが良いと思いますが
日本では難しそうですね。
現代では何も残らないように火葬するのが
一番執着がなくて良い方法だと思います。

注意:テーラワーダ仏教は先祖代々
のお墓やお寺を否定しているのではありません。
先祖が守ってきたものは大事にするべきだいう教えです。

テーラワーダ仏教を信じても今までの仏壇やお墓や神棚を
処分する必要はありません。

お釈迦様の教えを学んで実践するのが目的です。

一部の不真面目な大乗仏教の僧侶によって
全ての大乗のお寺が儲かっていると思うのはかわいそうだと思います。
田舎では兼業しないと生活できない僧侶がほとんどでしょう。
(独身ならなんとかなりそうですが)
田舎のお寺でがんばっているまじめで親切な若い住職もいます。
応援してあげてください。

都会の葬儀屋や僧侶の紹介業の売り上げアップに
協力する必要はありません。

檀家寺や僧侶にお布施するのならまだお寺のためになります。
その間の消えるお金は追善供養にはなりません。

幸せでありますように。






2009年1月19日月曜日

食事のお供えについて


質問:お供えした食事は食べてはいけないのですか?

 

答え:何人かの長老に確認しましたが、

私が聞いた限りはお供えしたものを食べたらいけないという長老は

ミャンマーでは一人もいません。

スリランカのお寺、正山寺でも下げたものを食べています。

食べると徳があると信じているビルマ人信者もいます。

 

問題は12時以降に置きっぱなしにしないように注意すること。

戒律で正午過ぎにたべるのが禁じられているのでお供えもそれまでに下げます。

その他にも果物などを丸ごとだす。

(見栄えが良いように飾っているなら別ですが)

神棚にお供えしているわけではありません。

お客さんが来たら果物を丸ごと出しませんよね、

まだ熟していないので置いているだけ?(笑)

ひどい場合、日本では一升瓶がお供えしてあります。

お菓子などを箱から出さないなども

三蔵護持者のウィセッタサーラビィヴァンサ大長老が批判するのを読んだことがあります。

(果物を飾っているのはミャンマーでもよく見られます)

信者さんによっては本当に一人の人間が食べるぐらいの量をお供えして、

それを托鉢に来た比丘にお布施し、二度功徳を得ます。

ネコババではないと思いますが・・・

本人が食べなくても動物に与えるのは当たり前です。

日本は勝手に動物に与えると迷惑条例で捕まるかもしれませんの自己責任でお願いします。

 

お供えをゴミ箱行きしていたら、もし釈尊が在命中でしたら喜ぶでしょうか?

佛歯寺だったか分かりませんが100人ぐらい食べれそうな量を毎日お供えするそうです。

それも捨てているのでしょうかね?

 

お供えしたものは食べてはいけない理由がわかりませんが、

長部の大涅槃経や中部の法相続経からでしょうか。

意味が違うと思いますよ。

 

自分が後で食べようと思ってお布施しても意味が無いと思うなら

自分で食べずに別の生命の与えたほうが良いでしょう。

 

私の記憶があいまいなので出典が分かりませんが、

釈尊のお食事中にビンビサーラ王が来て、

王が食べたそうにしているのを釈尊が知り残りを食べさせた話を聞いたことがあります。

 

ただ比丘が食事を与えていい在家は限定されているので、

その中に入るようにお寺の掃除などをしたり

仏壇の周りを掃除するなど仏教のために働いた後に

お供えのお下がりを食べるように勧める長老もいます。

 

比丘が食事などを与えていい在家

寺で雑事をしている在家

まずいし両親

王、盗賊などです。

王や盗賊は怒らせると怖いのでご馳走しても良い。()

貧しい両親は恩を返すために托鉢してでも面倒を見るべきだといわれています。

お寺のために働いている人などです。

 

まあ、どうでも良いことですが

ご参考までに。

 

ただでさえ更新しなのですが、

野暮用で一ヶ月ほど更新できません。

 

一ヵ月後から定期的に更新する予定です。

お楽しみに。

 

幸せでありますように

2009年1月11日日曜日

畳のお布施

【畳のお布施】
以前紹介しましたが会員の小山忠久様のお布施で
新しい畳に取り替えていただきました。
40年使っていた畳を裏返すと思ったよりきれいで驚いていると、
たまに裏側がカビだらけの畳があると教えてくれました。

新しい畳のにおいが部屋中に漂い、青く光っているようです。

古い精舎ですが、皆さんと知恵を出し合って、
使いやすくなればと思っています。

会員の上田様より布団乾燥機と加湿器のお布施がありました。

他にも会員の方より色々なお布施を頂いていますが
代表して紹介いたしました。

幸せでありますように。





















2009年1月6日火曜日

前世において為された福業

先日、吉祥経の中の「前世において為された福業Pubbe katapuññtæ」とはどういうことかと質問がありました。

 

今生において経済的など豊かな家に生まれる、地頭が良い、容姿端麗、家系が良い(皇室など)、人気があるなどは過去の功徳が大きく影響を与えます。仏教は宿命論ではないので今生の努力や色々な条件で変わってくるものも当然あります。

有名な護経の解説書を調べるとほとんど説明が無く、その代わり吉祥(めでたい、良い兆し)とは何かと説明があました。その紹介は別の機会にいたします。

簡単ですが吉祥経の云われの説明をいたします。(日常読誦経典p.63)

神々が12年考えて答えが出なかった吉祥とは何かをお釈迦様に質問して、お答えになったお経です。

例えば初日の出を拝むと吉祥だ(縁起が良い)、鶏の鳴き声を朝一番に聞く、白い牛を見るなどその国の文化で吉祥というものがあります。しかし、それは迷信的なものばかりで本当の吉祥とは何かをお釈迦様が答えた38種の中に「前世において為された福業」というものが含まれています。

仏教では人間に生まれ、仏教に興味を持ち、さらに冥想実践するような人は「前世において為された福業」があるいえると思います。

ですから今生でまた功徳を積めば来世でまた同じように「前世において為された福業」をもって生まれることができ、吉祥がある人になることが出来ます。

福業とは簡単に

布施(執着から離れ、他に物などを与えること)

持戒(五戒などの戒を守ること)

修習(慈悲の冥想や、ヴィパッサナー冥想などの実践)

敬愛(尊敬に値する人を尊敬すること)

作務(他の人の善行を手伝うこと)

回向(自己の得た功徳を他に施すこと)

随喜(他人の善行を知ってともに喜び、受けること)

聴法(法を聞く、ためになることを聞く)

説法(法を説く、ためになる知識を教える)

見直業(正しい教えを信じ、見解をただすこと、因果の法則などを信じる)

 

今年も皆様が福業を実践することによって

吉祥に満たされますようにと願っています。


【追伸】

今日、畳店をなさっている会員の方が、精舎の畳が古くなっているので新しい畳をお布施してくれるためにはサイズを測りに来てくれました。とりあえず40年ほど使っているものを新しくものに取り替えてくれるそうです。

お布施なさった方を始め、生きとし生けるものが幸せでありますように。