2009年4月27日月曜日

九有情居について


質問がありましたのでお答えします(パティパダ五月号p.59について

 

1.種々身種々想居

人間界、六欲界天界の世界は色々な身体、色々な想、生まれ(結生心)の生命がいる世界

 

2.種々身一想居

四悪趣、第一禅定の3つの世界は色々な身体を持つが、それぞれの世界で想、結生心が同じである世界

 

3.一身種々想居

第二禅定の世界は身体の美しさや大きさは同じだが、第二禅定異熟心と第三禅定異熟心で(結生心が)同じではない世界

 

4.一身一想居

第三禅定の世界は身体の美しさや大きさは同じく、第四禅定異熟心(結生心)も同じである世界

 

5.空無辺処居 6.識無辺処居 7.無所有所居 8.非想非非想処居

5~8の世界はそれぞれ身体がなく、(物質がない世界)名蘊という心、心所のある世界

 

9.無想有情居

無想有情の世界は心、心所がなく命九集という業生色だけがある世界

 

他の説

1.欲有居 2.色有居 3.無色有居 4.想有居 5.非想有居 

6.非想非非想有居 7.五蘊有居 8.四蘊有居 9.一蘊有居

東海ダンマーサークルで質問があったのでお答えしました。

質問されたとき思いついたのと違ったのでいい加減な答えをしなくてよかったです。

説明になっていないと思うかもしれませんがそんなもんだと思ってください(笑)

長部経典 結集経(パーティカ編Ⅱp.142大蔵出版)

長部(ディーガニカーヤ)パーティカ篇〈2〉 (パーリ仏典)

に別の解説もありますが、最初の説明が私は一番気に入っています。


十とは何であるか?

十の無学の法が十支分だと思います。無学とは阿羅漢のことです。

無学の八正道と無学の正智、無学の正解脱を足して十になります。

(パーティカ編Ⅱp.157大蔵出版)

2009年4月25日土曜日

不善心


少しづつ簡単なアビダンマのお話をしていこうと思います。

不善、悪とかいうと主観的だと思うかもしれませんが仏教でははっきりした概念です。

不善とは罪があり悪い結果をもたらすという定義です。

別な言葉で言えば貪、瞋、痴のどれかが入った身体、言葉、心による行為です。

これらの反対が善です。

今回は不善心について。

心とは知る働きで純粋な水に例えられます。

純粋な水の中に汚い成分が混ざると汚れた水になります。

同じように知る働きの心と例えられる純粋な水に汚い成分と例えられる不善心所14のいずれかが入ると不善心となります。

不善心は全部で12種類あります。

普段の生活で色々な悪い心が生じますがこの12種類のどれかに分類することが出来ます。

不善心12を大きく三つに分けると貪8、瞋2、痴2となります。

 

貪根心8を説明します。

まず欲の心は二つの感覚に分けることが出来ます。

喜(喜び)の感覚と捨(苦でも楽でもない)の感覚です。

 

さらに悪見(邪見)を相応(伴う)か不相応(伴わない)で分けます。

 

さらに行(働きかけ)が無いか有るかで分けます。無行、有行

 

無行1①

                                          悪見相応2           有行1②

                            喜倶4                               

                                          悪見不相応2       無行1③

                                                                      有行1④

貪根心8

無行1⑤

                                          悪見相応2           有行1⑥

                            捨倶4                               

                                          悪見不相応2       無行1⑦

                                                                      有行1⑧

物を盗むときの心が喜びを伴い、悪事に対して悪いと思わず、人から勧められることなく行為するときに生じる心が①番目の貪根心です。

②は有行になりますので人から勧められて生じる心です。

③は悪いと分かっていて人から勧められることなく行為するときに生じる心。

④は悪いと分かっていて人から勧められて行為するときに生じる心

⑤から⑧は同じパターンで捨の感覚になります。

 

悪見とは行為とその結果をなどの因縁の法則などが無いなどと間違った見解を持つことです。

見つからなければ悪い行為をしても問題ないと思うなども悪見です。

 

ここでの行の意味は「働きかけ」と思ってください。無行なので「働きかけが無い」ので、人から勧められることなく自ら行為するとなり、有行ですと「働きかけが有る」ので人から勧められたり、自分で少し考えたあげく行為するような状態です。

心は早く消滅しているのでこの例えは無理がありますがミャンマーでよく使う例えです。

 

次回は瞋根心と痴根心を説明します。

2009年4月21日火曜日

勝義諦と施設(世俗諦)

 

仏教を学ぶ上で大切な概念が勝義諦と世俗諦(世間で仮に決めたこと、施設)です。

勝義諦(変化しない本質)は心、心所、色(物質)、涅槃の四つです。

心とは所縁(対象)を認識する本質、

心所とは心と同時に生じる本質、

色(物質)とは暑さ寒さなどで変化する本質、

涅槃とは全ての苦の寂滅という本質です。

心、心所、色も無常ですから、常に消滅して変化していますがそれぞれの本質は変わりません。

それ以外は世俗諦(施設)といっていいと思います。

例えば自動車があるとします。

世俗諦で見れば自動車は存在しますが勝義諦から観ると色(物質)があるだけです。

物質の集まりを世俗諦で自動車と呼んでいるだけです。

細かい元素に分けなくてもタイヤ、ボディ、エンジン、シートなど色々な部品から組み立てられているだけで自動車というものは勝義諦の見方をすれば存在しません。

世俗諦から見れば普通に存在します。

お釈迦様でも法を説くには世俗諦なしには不可能です。

なぜなら勝義諦を表す言葉が世俗諦だからです。

心、心所、色(物質)、涅槃は勝義諦として存在し、それを示す言葉は声(名)施設です。

自動車は世俗諦(義施設)として存在し、それを示す言葉は声施設です。

勝義諦から観れば自動車は存在せず、色(物質)があるだけです。

ウサギの角は世俗諦でも存在しませんが、名前は施設です。

 

分かりにくいと思いますが、ゆっくり考えてみてください。

2009年4月15日水曜日

渇愛について


転法輪経に三つの渇愛が説かれています。

      五欲への渇愛                         (kæma ta¼hæ

     (常見を伴う)存在への渇愛     (bhava ta¼hæ

     (断見を伴う)虚無への渇愛     (vibhava ta¼hæ

 

渇愛とはのどが渇いているとき水を欲するように色々な対象に対する貪欲です。のどが渇けば水を飲めばおさまりますが、塩水を飲んでもさらにのどが渇くように欲を満たすことは根本的な解決にはならないといわれています。

     五欲への渇愛

色声香味触の五つの対象への欲です。性欲の意味だと思っている人がいるかもしれませんが性欲も触れる感覚が中心の欲ということもできます。金銭欲も権力欲もそれを得ることによって五欲を満たすことができるのが大きい原因の一つだと思われます。

 

     (常見を伴う)存在への渇愛

伝統的な説明は色界、無色界に生まれたいという欲です。人、天(欲界)に生まれたい渇愛は①番に入れます。欲界に生まれて五欲を楽しませたいからです。

常見とは永遠な魂などを信じることです。色界、無色界などに生まれれば永遠に生き続けることができるという常見を伴った渇愛です。

色界とは色界禅定を得た人が生まれ変わる世界です。精妙な物質はありますが法を聞くための耳と仏陀を見るための目があるだけで香、味、触を感受する鼻、舌、身などの物質(浄色)がありません。

(色界の中に無想有情界という心がない物質だけの世界もあります)

無色界は無色界禅定を得て人が生まれ変わる世界で物質のない心だけの世界です。

 

     (断見を伴う)虚無への渇愛

断見とは死んだら終わりだという邪見で、この渇愛は死んだら虚無であって欲しいと渇愛することです。

色々と悪いことをしてきた人は悪い世界に生まれ変わって苦しみたくないのでこの渇愛があります。

自殺したい人は断見をもって死んだら今の苦しみがなくなると思い自殺するかもしれませんが自殺するのは怒りです。欲ではありません。破壊欲も破壊したいのは怒りで欲ではありません。

善心、不善心に関係する意欲(chanda)は欲(lobha, ta¼hæ)ではなく、貪欲(lobha)と瞋恚(dosa)は同時に生じません。

 

当然、預流道で全ての邪見を取り除いても生に対する渇愛があるから生まれ変わるわけですが、その場合は邪見を伴わない欲になります。

 

【性欲と金銭欲についての質問】

普通在家生活を送る上で五戒に触れなければ問題はありませんが、五戒に触れなくても不善心が生じている可能性は高いです。ですから月に何度か八戒を守ってたとえ夫婦間でも性行為をしない日を設ける習慣があります。

性欲に対する修行法は不浄観です。人の身体はばらばらにしていくと、その一つ一つは執着に値しません。

日常読誦経典p.46 、南方仏教基本聖典(大念住経p.87不浄観察の部・p.89九種の墓場の部)

ヴィパッサナー瞑想を実践すれば浄も不浄もなくただ観察するだけですが、性欲が強い場合は反対の概念で対処します。

アーナンダ尊者が女性とどのように接するべきかと質問したことがあります。(大涅槃経)

答えは

1.見るな 2.話すな 3.それができないなら自分の母や姉だと思って接しなさい

 

ある長老の話ですが男と女は磁石のプラス、マイナスみたいなもので近づけると引き寄せられてくっついてしまう。出家者も磁石のようになって還俗する場合が多いと()

 

金銭欲については強欲が問題で、正しい仕事で収入を得ることは正命(正語、正業によって収入を得る)になります。その得られたお金を自分だけで使うのではなく他の人々に与えるようにすればいいと思います。貧しい国では少しのお金でも命がたすかり、子供たちが勉強できるようになる手助けをすることが出来ます。仏教の布教のためにお布施することは言うまでもありません。

 

お釈迦様が在家に対して布施、持戒、生天(良い世界に生まれる)、欲の欠陥(離欲)、涅槃への道と段階を追って説法します。

在家の方が普通に五欲を楽しむのは問題ないと思いますが、渇愛というようにいくら満たしても完全な満足は得られないことを理解して、離欲を楽しむことも必要だと思います。

 

幸せでありますように。

2009年4月13日月曜日

三十二大人相について


大乗仏教とテーラワーダ仏教の三十二大人相と八十の細相は順番が少し変わっていることがありますがほとんど同じだと思いますのでご紹介します。

南方仏教基本聖典p.153の解説がテーラワーダの伝統的な解釈だと思います。横に上座部で対応すると思われるものを併記していますが、不確かなところもありますので参考程度にしてください。 

神奈川仏教文化研究所より引用 

【如来の三十二相】

名称及び順序は経論によって異説もあるが、大智度論巻四によると次のようになる。

1. 足下安平立相 そくげあんぴょうりゅうそう1.suppati¥¥hita pædo
  地を歩くとき足裏と地と密着して、その間に髪の毛ほどの隙もないこと。


2.
足下二輪相 そくげにりんそう 2.cakka pædo
  足裏に輪形の相のあること。


3.
長指相 ちょうしそう 4.Døgha³guli
  一〇本の手指(異説では手足指)が長いこと。


4.
足跟広平相 そくげんこうびょうそう 3.æyatanapa¼hi
  足のかかとが広く平らかであること。


5.
手足指縵網相 しゅそくまんもうそう 6.jælahatthapædæ(網のように揃った手足の指)

 手足指の各指の間に、鳥の水かきのような金色の膜があること。

6. 手足柔軟相 しゅそくにゅうなんそう 5.mudu-talunahatthapædæ
  手足が柔らかで色が紅赤であること。


7.
足趺高満相 そくふこうまんそう 7.ussa³khapædo(踝が高い)

足趺すなわち足の甲が亀の背のように厚く盛り上がっていること。

8. 伊泥延せん(足偏に專)相 いでいえんせんそう 8.e¼ija³ghoエーニ鹿のような細長い脛)

  足のふくらはぎ(足偏に專)が鹿王のように円く微妙な形をしていること。伊泥 延は鹿の一種。


9.
正立手摩膝相 しょうりゅうしゅましっそう 9.¥hitakova anonamanto jantukæni paræmasanaµ
  正立したとき両手が膝に届き、膝を摩するごとくであること。


10.
陰蔵相 おんぞうそう 10.kosohitavatthaguyho
  男根が体内に密蔵されること。


11.
身広長等相 しんこうじょうとうそう 15.brahmujuggatto(梵天のように真直の身体)

  身体の縦広左右上下の量が等しいこと。


12.
毛上向相 もうじょうこうそう14.uddhagga loma

  髪毛の先端がすべて上になびき、右に巻いて、しかも紺青色を呈し柔軟であるこ と。


13.
一一孔一毛相 いちいちくいちもうそう 13.ekaka loma
  身体の一札におのおの必ず一毛を生じ、その毛孔から微妙の香気を出し、毛の色 は青瑠璃色であること。


14.
金色相 こんじきそう 11.suva¼¼a va¼¼o
  身体手足すべて黄金色であること。


15.
丈光相 じょうこうそう 48.parima¼ðala kæya pabhævantatæ(80の細相中)

  身体から放たれる光明は四方各一丈の長さであること。

16. 細薄皮相 さいはくひそう 12.sukhumacchavø
  皮膚が軟滑でいっさいの塵垢不浄を留めないこと。


17.
七処隆満相 しちしょりゅうまんそう 16.sattussado
  両掌と両足の裏、両肩、うなじの七所の肉が円満で浄らかであること。
18.
両腋下隆満相 りょうやくげりゅうまんそう 18.citantaraµso(両肩甲骨の間に窪みがない体)

  両膝の下が充実していること。


19.
上身如獅子相 じょうしんにょししそう 17.søhapubbaððha kæyo

  上半身の威容が厳粛で、あたかも獅子王のようであること。


20.
大直身相 だいじきしんそう 19.nigrodha parima¼ðalo
  身体が広大端正で比類がないこと。
21.
肩円満相 けんえんまんそう 20.samava¥¥akkhando 

  両肩の相が円満豊しゅう(月偏に叟)であること。
22.
四十歯相 しじゅうしそう 26.cattæløsa danto
  四〇枚の歯を有し、それらは雪のように白いこと。
23.
歯斉相 しさいそう 歯はみな等しく、硬く密であること。 24.samadanto (均整のある歯)

(25. avira¹a danto隙間のない歯)

  
24.
牙白相 げびゃくそう 26.susukkadæ¥ho
  四〇歯以外に四牙あり、とくに白く大きく鋭利堅固であること。


25.
獅子頬相 ししきょうそう 22.søhahanu
  両頬が隆満して、獅子王のようであること。


26.
味中得上味相 みちゅうとくじょうみそう 21.rasaggasaggø
  食物はその最上の味を味わえること。


27.
大舌相 だいぜつそう 27.pahþtajivho
  舌が軟薄で広く長く、口から出すと髪の生え際にまで届くこと。しかも、口に入 っても一杯にはならない。


28.
梵声相 ぼんじょうそう 28.brahmassaro
  声は清浄で、聞く者をして得益無量ならしめ、しかも遠くまで聞えること。


29.
真青眼相 しんしょうげんそう 29.abhinølanetto(勝れてた漆黒の目)

  睫の色が紺青色で青蓮華のようであること。


30.
牛眼瀟睫相 ぎゅうごんしょうそう 30.gopakhumo
  睫が整っていて乱れず牛王のようであること。


31.
頂髻相 ちょうけいそう 32.u¼høsa søsoターバンを巻いたような円満な頭)

頭上に肉が隆起して髻(もとどり)の形を成していること。


32.
白毫相 びゃくごうそう 31.u¼¼¼æ bhamukantare jætæ odætæ mudu tþla sannibhæ
  眉間に雪白の白毛があって光明を放つこと。

【コメントの質問の答えは】

頂髻相(ちょうけいそう)u¼høsa søso ターバンを巻いたような円満な頭)

頭の頂の肉が隆起して髻(もとどり)の形を成している(にくけい)の事。

ある人は悟ると脳が発達して頭頂部が隆起した()と思っている人もいます。

螺髪(らほつ)について面白いので読んでみて下さい。

菩薩が出家するときに髪を切ってそのまま伸びることはなかったと聞いたことがあります。

今で言う天然パーマなのかもしれませんが伸びないのは怪しいですね()

あいまいな記憶ですがスキンヘッドの仏像もあったと思います。

ミャンマーですと1週間に一回剃るのが普通ですが、タイですと月に1,2回と聞いたことがあります。

病気でない限りミャンマーで2週間以上伸ばしているとニセ坊主だと思われるかもしれません()

厳しい学問寺では剃る日が決まっていて勝手に剃れません。全ての僧侶が同じ髪の長さなので見た目が良いのと一度に剃れば手間が省けるのかもしれません。


【お願い】いつもコメントしていただいてありがとうございます。匿名のコメントですと誰がどのような質問をしているか分かりませんので本名でなくて結構ですので適当に名前を入れてください。よろしくお願いします。個人的な判断で削除する場合もありますのでお許しください。