2009年3月9日月曜日

知と信のバランス

タバコの好きな聖人?でボーミンガウンという行者がいました。

テーラワーダ仏教とは関係ない超人(仙人?)信仰です。しかし、彼らに言わせると仏教を守っているそうです。

彼らは修行によって長い間(例えば千年とか)生き続けることが出来ると信じられています。

私は信じませんが、テーラワーダで現世利益を願う信者さんに、そちら系の根強い需要があります()

中には詐欺師が田舎の素朴な人をだましてお金を集めていると聞いたことがあります。

自分は1300歳以上だという坊さんもいます。ただの詐欺師で衣を着ていても、出家者ではありません。

また一ヶ月以上断食、水断ちで修行したという人もいますが、断食は可能でしょうが水断ちは最高1週間でしょう。

(千日回峰行の体験記をお読みください)

それだけで私は嘘だと思いますが、信じて尊敬する人が少なくありません。

挙句の果てには砂を食べて生きているという、坊さんも現われました()

後で嘘がばれて警察に捕まりましたが。

(それでも信じる人がいるのは驚きです)

彼らはお金を集めてパゴダを建ていきます。当然、中にはまじめな人もいると思いますが怪しい人が多いのは否定できません。

(日本の土建政治家のようなものでしょうか)

こんなことを書くと切れる人がいるのであまり関わりたくないのですが、知と信のバランスが必要です。

 

知(ここでは仏教の慧ではありません)が強すぎると何でも疑い、唯物主義に陥りがちです。たとえ仏教を信じていても、そのようなタイプの人は、合宿瞑想に参加しようという人に、瞑想は日常で気づきの状態を保てばいいだけでわざわざ特殊な環境で修行しても意味がないなどと言ったりします。

言っていることはまんざら間違いではありませんが、教習所で運転を練習せずに直ぐに道路で練習しろと勧めるようなものです。教習所は実際ありえない特殊な環境ですが、初心者にとっては役に立ちます。必ず合宿瞑想をしたほうが良いわけではありませんが、やはり環境の整った場所で何日か瞑想するのは良いものです。

 

信(ここでは仏教の信ではありません)が強すぎると、だまされやすくなります。

ミャンマーの田舎で実際にあった話しです。

ある行者が村に突然やってきます。

自分は錬金術に成功したと触れ込んで、金を預けたら錬金術で増やして返すと約束します。

はじめ村人は恐る恐る、試しに少し金を預けて様子を見ます。

行者は何度も利子付きで返していきます。

何度か利子をつけて返すことによって、素朴な(欲深い?)村人はその偽錬金術しに挙って金を預けだします。

そこで金を集めた行者詐欺師は夜逃げだそうです。

日本である詐欺と同じパターンですが、舞台がミャンマーなので行者の錬金術が絡みます()

 

仏像を本当の仏陀だと思う人はいないと思います。

お釈迦様の徳に心を向かわせやすくするための方便です。

どんなに信じても仏像は仏陀にはなりません。

しかし、信じる人にとっては大切なものです。

あまり本質と関係ないものは気にせずに、お釈迦様の教えを実践し心を育てていくのが一番大切なのではないでしょうか。

信心深い人は少し読んでバランスを取ったらどうでしょうか

疑似科学・トンデモについて知るためのリンク集

http://homepage3.nifty.com/boumurou/tondemo/link.html