2012年7月4日水曜日

文献学の常識について

日本ではパーリ経典や註釈より文献学者の言葉を信じる人が多いのには驚きます。

私はテーラワーダ仏教原理主義者ではありませんし、経典などが無謬だとも思っていませんが文献学者の解釈より註釈者の解釈を優先しています。

ネットで検索していたら宮元啓一先生の非常に分かり安く説明されている記事を見つけました。
以下参考にご覧ください。



『仏教かく始まりき----パーリ仏典『大品』を読む』春秋社、2005年11月

のはじがきに
■複数の文献に共通する部分は成立が古い、という文献学の常識について
■韻文は成立が古く、散文は成立が新しい、という文献学の常識について

http://homepage1.nifty.com/manikana/m.p/hon/daihon.html


「真の仏説とは?究極の真理とは?」と議論しても意味がないのでテーラワーダ仏教的に真かどうかが私の判断基準のです。

テーラワーダ仏教の大前提として釈尊は完全に悟られて、その教えが正しく伝えられてきており、実践すれば結果をえら得るという信が必要だと思います。