2009年11月24日火曜日

自殺などの質問

1)死ぬ間際の「心」の状態が、次の「心」を作って、その「心」が自分にあった「物質」(六道のいずれかの生命)を作る、という考えは正しいでしょうか?
(仙台のYさん)




死ぬ間際の心の流れの中の速行心が過去、現在の善、不善の業を所縁として生じます。

例えば臨終速行に過去の殺生を所縁として不善心が生じれば不善異熟心によって地獄、畜生、餓鬼、阿修羅のどれかの世界に結生します。

同じく布施、持戒、瞑想などを所縁とすれば善心が生じ善異熟心によって人、天などの善趣に結生します。

質問の「次の心」とは結生心(その生の中で一番最初に生じる心、有分心)だと思いますが、それが自分にあった体を作るという表現は間違いとは言えませんが、過去の善、不善の業によって心の小刹那ごとに業生色(業によって生じる物質)を生じさせるが正しいと思います。

結生心それ自体は心生色は生じさせません。その次の心からすべての生位の刹那に心起因色(心生色)を生じさせます。

業によって犬に生まれ変わったならば犬の生の中でいきなり猫にならないのは業による色によるものです。

アビダンマでは業、心、食(滋養素)、時節などが物質をつくると言えます。

DNAの例えはあまり正確ではないので削除しました。




2)自殺したならば、来世は地獄に行くのでしょうか?
(仙台のYさん)


よほど修行した人や聖者でない限り善趣に転生するのは難しいでしょう。必ず地獄に行くとは言えませんが。常識的に考えて自殺する人の自殺する前の精神状態が良いとは思えないので臨終速行心が不善心になる可能性が高く、そうなれば必ず悪趣に落ちます。





3)自殺するという行為も、今まで(過去世、現世)の「業果」でしょうか?
 それとも現世だけの業果ですか?
(仙台のYさん)

仏教ではすべての原因が業一つだけだと考えるのは邪見に入ります。
寿命を全うせず途中で亡くなるという業があったとしても今生での選択で自殺しないかもしれません。

たとえ乗っていた飛行機が落ちて死んだとしても業一つだけが原因ではありません。