しかし、仏教で供養すると功徳がある対象は
仏陀、阿羅漢、輪転王の舎利
Dhatu ceti
仏陀が生前使用していたもので菩提樹、衣、杖、水漉しなど受用物
paribhoga ceti
仏陀を思い浮かべるための仏像などです。
uddissa ceti
仏像は石や木などでできており本物の仏陀ではないのは誰でも知っていますが、本物でないのでなぜ供養しているのですかと聞く人は仏教徒にはいないと思います。
他宗教の人は偶像崇拝だと非難するかもしれませんね。
舎利が本物かどうかは神通力がある人なら分かるかもしれませんが普通わかりません。
由緒あるお寺に祭られている舎利だから本物だという信じることもできますが、それも疑いだせばきりがありません。
DNA鑑定などすると面白いと思いますが古さはある程度わかりますが本物どうかはわかりません。
100パーセント只の石である仏像を供養する人が本物の可能性0.01パーセントでもある舎利を供養しない理由は私には見当たりません。
0.01の数字に深い意味はありませんが(笑)
もし偽物でも大阿羅漢の徳を思い浮かべるためのuddissa cetiにはなりますので個人的には問題はないと思っています。
仏像や舎利を礼拝供養することは布施、持戒、修習、尊敬、作務、回向、随喜、聞法、説法、見直業などの十善業事のなかの尊敬や布施になりますので行わない理由はありません。
瞑想の実践が最高の功徳ですが機会があるごとに他の善業も行うべきだと思います。
幸せでありますように