ヴィパッサナー冥想が最高の善行為となるのは何故ですか?
冥想することが一番しっかりした人間になる道で、すべての善行為の元になるから、というようなイメージですか?
色々な分類の仕方がありますが欲界善、色界善、無色界善、出世間善と分けることが出来ます。
欲界善、 欲界善心8を伴う身体、言葉、心による善行為(お布施からヴィパッサナー冥想まで色界、無色界、出世間以外の全ての善)
色界善、 色界禅定のことで色界梵天に生まれ変わる業をつくる
無色界善、 無色界禅定のことで無色界(物質がない世界)に生まれ変わる業をつくる
出世間善、 預流道などの悟りの瞬間のことで一来道、不還道、阿羅漢道と4回しか生じません。
出世間善と世間善(欲界善、色界善、無色界善)は比較にならないので世間善の中で布施、持戒、サマタ冥想(禅定に達するまでは欲界善)、ヴィパッサナー冥想と分ければヴィパッサナー冥想が最高の善行為だといえます。
しかし、布施などの善行も「この功徳が涅槃の縁となりますように」と願って行えば間接的に輪廻からの解脱へと導く善行になります。ヴィパッサナー冥想は直接的な縁となります。
生命は幸せを求めていますが、仏教では最高の幸せは全ての苦しみが滅した涅槃と説いています。
ですから直接、涅槃の縁となるヴィパッサナー冥想は最高の善行為といえます。
しかし、阿羅漢にならない限り、全ての身体、言葉、心による善悪の行為は結果を与えますので、ヴィパッサナー冥想であっても例外ではなく良い結果を与えます。
タバコを吸う人は涅槃が禁煙だったら行きたくないかもしれませんが(笑)あまり涅槃など達したくない人でも「この功徳が涅槃の縁となりますように」と願うようにと勧めています。
最高の涅槃に達するまでに普通の幸せは特別願う必要が無いといわれていますから。
人によってはヴィパッサナー冥想ばかりやって他の功徳は必要ないと思うかもしれません。
輪廻を旅行に例えるならば行き先に合った乗り物に乗れば目的地には着きます。
ヴィパッサナー冥想実践は八正道という涅槃が終点の新幹線に乗るようなものです。
自由席で何も飲み食いしなくても目的地にはつきますが、指定席、グリーン車に乗って食べ物や飲み物などがあれば楽しく旅行できます。
ヴィパッサナー冥想は乗車券、他の功徳は輪廻という長い道中で楽しく過ごすための旅費です。
今生で阿羅漢になりたい人は別ですが、道中の旅費はあったほうがいいと思います。
幸せでありますように。