2009年5月6日水曜日

三因について


54日に協会員の方にお昼のお布施と大阪南港の近くの海岸に連れて行ってもらいました。

連休中ですので大変な混み方で、さらにまいったのはコスプレ・イベントが開催中で思いっきり間違えられました()

今回も質問がありましたのでお答えします。

なるべく簡単に分かりやすく書こうと努力していますが難しいことを簡単に書く才能はありませんし、それを考え出すと書く気が失せるので、たまに?いつも仏教用語満載のブログについていけない方はお気軽にご質問ください。

 

テーラワーダ仏教では残念ながら誰でも今生で仏陀になれるとか、悟れるわけではありません。今生で仏陀になりたい人は上座部仏教は止めたがいいと思います。

以前、インドには悟った牛がいると聞いたことがありますが()

上座部仏教ではありえないのでヒンズー教の悟りをえているのかもしれません。

(どうして?と思う方は最後までお読みください)

 

因とは心が生じるときの木の根のように例えられています。

その根が貪(欲)、瞋(怒り)、痴(無知)、とその反対の 不貪、不瞋、不痴(慧)の六つのことです。

貪、瞋、痴は悪い心が生じるとき対応しますが貪、瞋、は同時には生じません。

不貪、不瞋、不痴(慧)は不貪、不瞋は必ず同時に生じ

善心(欲界善心、色界善心、無色界善心、出世間善心・道心)

唯作心(阿羅漢の良い心と機能だけの心でどちらも結果を与えない)、

異熟心(過去生の善、不善の結果の心)と関係します。

 

生まれ変わりに関係するのが異熟心です。

異熟心の因は無因か不貪、不瞋、不痴(慧)の三つ因です。

不善心の結果は無因不善異熟心で悪い世界へ生まれ変わらせます。

善異熟心が無因善異熟心、二因心、三因心の三つで人間以上の世界に生まれ変わらせます。

 

このブログを読んでいる人は二因、三因で、違いは慧をもって生まれているかどうかです。

普通三因の方が頭がいいと思いますが、仏教的に言えば今生で悟る可能性が有るか無いかです。

二因だとどんなに努力しても悟れませんし禅定にも達することが出来ません。

三因であっても努力しない限り禅定に達することは出来ませんし、悟りに関しては過去生からの徳の量とも関係しますので努力だけでは悟れません。

スポーツで結果をだす選手は才能もあるし子供のときから努力し続けています。

努力すれば誰でも金メダルを取れるわけではありません。

この理屈が宗教になると不公平だと言い出す人が出てくるので、不満がある方は阿弥陀様のセーフティーネットに救ってもらってください()

 

あまりこの話をしたくないのは、一歩間違えると冥想する気がうせてしまい今生では功徳を積んで遠い未来の生において悟ろうと考えるかもしれないからです。

別に悪い考えではありませんし、そう考えている長老さえいます。

結論は自分が何であろうとあきらめずに善心が生じるように努力するだけです。

努力すれば三因なら悟るかもしれないし、二因なら功徳が積め来世で悟る縁となります。

 

幸せでありますように。