少しづつ簡単なアビダンマのお話をしていこうと思います。
不善、悪とかいうと主観的だと思うかもしれませんが仏教でははっきりした概念です。
不善とは罪があり悪い結果をもたらすという定義です。
別な言葉で言えば貪、瞋、痴のどれかが入った身体、言葉、心による行為です。
これらの反対が善です。
今回は不善心について。
心とは知る働きで純粋な水に例えられます。
純粋な水の中に汚い成分が混ざると汚れた水になります。
同じように知る働きの心と例えられる純粋な水に汚い成分と例えられる不善心所14のいずれかが入ると不善心となります。
不善心は全部で12種類あります。
普段の生活で色々な悪い心が生じますがこの12種類のどれかに分類することが出来ます。
不善心12を大きく三つに分けると貪8、瞋2、痴2となります。
貪根心8を説明します。
まず欲の心は二つの感覚に分けることが出来ます。
喜(喜び)の感覚と捨(苦でも楽でもない)の感覚です。
さらに悪見(邪見)を相応(伴う)か不相応(伴わない)で分けます。
さらに行(働きかけ)が無いか有るかで分けます。無行、有行
無行1①
悪見相応2 有行1②
喜倶4
悪見不相応2 無行1③
有行1④
貪根心8
無行1⑤
悪見相応2 有行1⑥
捨倶4
悪見不相応2 無行1⑦
有行1⑧
例
物を盗むときの心が喜びを伴い、悪事に対して悪いと思わず、人から勧められることなく行為するときに生じる心が①番目の貪根心です。
②は有行になりますので人から勧められて生じる心です。
③は悪いと分かっていて人から勧められることなく行為するときに生じる心。
④は悪いと分かっていて人から勧められて行為するときに生じる心
⑤から⑧は同じパターンで捨の感覚になります。
悪見とは行為とその結果をなどの因縁の法則などが無いなどと間違った見解を持つことです。
見つからなければ悪い行為をしても問題ないと思うなども悪見です。
ここでの行の意味は「働きかけ」と思ってください。無行なので「働きかけが無い」ので、人から勧められることなく自ら行為するとなり、有行ですと「働きかけが有る」ので人から勧められたり、自分で少し考えたあげく行為するような状態です。
心は早く消滅しているのでこの例えは無理がありますがミャンマーでよく使う例えです。
次回は瞋根心と痴根心を説明します。