2009年4月21日火曜日

勝義諦と施設(世俗諦)

 

仏教を学ぶ上で大切な概念が勝義諦と世俗諦(世間で仮に決めたこと、施設)です。

勝義諦(変化しない本質)は心、心所、色(物質)、涅槃の四つです。

心とは所縁(対象)を認識する本質、

心所とは心と同時に生じる本質、

色(物質)とは暑さ寒さなどで変化する本質、

涅槃とは全ての苦の寂滅という本質です。

心、心所、色も無常ですから、常に消滅して変化していますがそれぞれの本質は変わりません。

それ以外は世俗諦(施設)といっていいと思います。

例えば自動車があるとします。

世俗諦で見れば自動車は存在しますが勝義諦から観ると色(物質)があるだけです。

物質の集まりを世俗諦で自動車と呼んでいるだけです。

細かい元素に分けなくてもタイヤ、ボディ、エンジン、シートなど色々な部品から組み立てられているだけで自動車というものは勝義諦の見方をすれば存在しません。

世俗諦から見れば普通に存在します。

お釈迦様でも法を説くには世俗諦なしには不可能です。

なぜなら勝義諦を表す言葉が世俗諦だからです。

心、心所、色(物質)、涅槃は勝義諦として存在し、それを示す言葉は声(名)施設です。

自動車は世俗諦(義施設)として存在し、それを示す言葉は声施設です。

勝義諦から観れば自動車は存在せず、色(物質)があるだけです。

ウサギの角は世俗諦でも存在しませんが、名前は施設です。

 

分かりにくいと思いますが、ゆっくり考えてみてください。