2009年2月20日金曜日

殺生について②


 

生命は平等だが殺生する生命の徳によって罪の重さが違うというのが納得できないとの意見がありましたので、簡単に説明いたします。

生命が平等だと本当に実感できて全ての殺生を避けることには疑問は無いと思います。ここでの論点は、虫は徳が無いから殺していいというわけではありません。全ての生命は幸せに生き続けたい願いがあり、自分も殺されたくないのと同じように他の生命も殺されたくありません。ですから全ての生命に対して平等に慈悲の心を育てようと努力するべきです。

常識的に考えてください。殺人と蚊を殺すのが同じ罪ですか?

殺人は罪が重いと認めることと、だからといって蚊を殺していいという理屈はではありません。

 

業道(その業が結果を与えれば地獄、餓鬼、畜生、阿修羅に再生する。阿羅漢になるまで潜在力が残る)

になる殺生の条件

1.         仏教でいう衆生、生きてる生命(植物、ヴィールスは含みません)

2.         それが生きていると知っている

3.         殺そうという殺意

4.         殺す努力(人に命令しても同じです)

5.         努力によって死亡すること

5番が入らないと殺生にならないのは言うまでもありませんが、全てが揃わなくても悪行になります。

悪い行為ですので苦しい結果は将来起こります。

 

アングリマーラの話は聞いたことがある人が多いと思います。

彼は多くの人を殺しましたが、最後に自分の母親を殺しに向かっているとき釈尊が途中で説法し救われました。

なぜもっと早く行って説法しないのかと突っ込まれそうですが、母を殺すと今生で悟ることが出来ず来世で必ず無間地獄に落ちると註釈しています。ですからご存知とおり、その後アングリマーラ長老は修行して阿羅漢になりました。

 

猟師が獲物を撃とうとして、狙いがはずれて、自分の両親に当たって死んだら重業(次生で必ず無間地獄に再生する)なると註釈しています。

獲物には殺意があっても、両親に対しては殺意がありません。刑事事件としても過失ですが、それなりの罪はあると思います。伝統的な註釈を信じてきわどいことは避けるべきだということです。

あるアビダンマに詳しい長老に質問したところ、彼は重業にはならないという意見でした。

 

最近読んだ本で、奥さんが交通事故で植物状態?になりもう快復の見込みはないといわれていたのが、病気の奥さんにベッドでいつも話しかけをして、あきらめずに延命治療をしていたら快復したという話もあります。もしその時、あきらめていたら生きている人を死なせたことになります。

現代の過剰な末期治療は問題があると思いますが、金がかかるから止めるという理由ではなく、医学的な判断を医者にしてもらって、判断は医者に任せたほうが無難だと思います。医者も家族が了解しないといけないのなら、本人の意見を生前から聞いておいて医者に伝えればいいかもしれません。