アラナ精舎の近くで梅が咲いていました。
日常読誦経典p.35に
「無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼。預流果を得ると、これらは解脱に至らない道だと分かる。」
とあります。
【無意味な苦行】
ミャンマーで火を使った食べ物を食べない行、果物だけたべる行、たぶん嘘でしょうけど砂を食べているという人もいます(笑)。シェーダゴンパゴダにも天気の良い日に太陽を見つめる女性の行者が見かけたことがあります。経典の中には暑いに中に、まわりに焚き火をして真ん中に座る修行が紹介されています。
【あらゆる宗教儀式・儀礼】
あらゆる宗教儀式・儀礼が悟りに導くと思わなければ問題はあまりないと思います。
アラナ精舎は岸和田で「だんじり祭り」がありますが、それが悟りに導くと思ってやっている人はいないと思います。謂れは何か知りませんが豊作や無病息災を願っているのでしょうか?
祭りをやっても豊作や無病息災がかなうとは思いませんが、文化や習慣として受け取れば問題ないと思います。
正月は初詣、二月は豆まきなどで幸せになるとは思いませんが、目の敵にする必要は無いでしょう。
ですから伝統や習慣を否定しているのではなくその意味を正しく理解すればいいでしょう。
アメリカで布教していたシーラーナンダ長老が仏教徒の葬式に呼ばれ説法しました。
亡くなった人の子供たちはほとんどキリスト教になっていて葬式で法話を聞かなかったそうです。
自分の親の信じていた仏教でお葬式をやっていて、たとえ自分が信じていなくとも親のために参加するのがそんなに悪いことで、彼らが信じている神はそんなにうるさいのかと話していました。
【犬行者経】
中部経典、犬行者経に犬や牛のようなまねをしていれば天に生まれ変わることが出来るという邪見をもって実践をしている二人の行者がお釈迦様に自分たちの修行の結果を三度尋ねました。
お釈迦様が「もし犬のような実践をしていたらうまくいけば次の生で犬になるでしょう。犬にならなければ地獄に落ちるでしょう」とお答えになりました。
その後、四つの業について説かれ
1. 黒い果(結果)をもたらす黒い業(行為)
2. 白い果をもたらす白い業
3. 黒白の果をもたらす黒白の業
4. 非黒非白の果をもたらす非黒非白の業、業の滅尽に導く
1.黒い果(結果)をもたらす黒い業(行為)
殺生、偸盗、姦淫、妄語、綺語、悪口、両舌、貪欲、瞋恚、邪見など
アビダンマ的に言えば12の不善心を伴った身・口・意の業
2.白い果をもたらす白い業
1番の反対の良い行為、過去の良い行為によって良い結果が得られる、今生で人間に生まれ仏教に出会え、それを理解できる知恵があるのも過去の行為の良い結果です。
アビダンマ的に言えば17の善心を伴った身・口・意の業
布施、持戒、修習(欲界修習、色界禅、無色界禅)
ヴィパッサナー瞑想も涅槃に導く修行法ですが厳密に言えば悟るまではこの2番に入ります。
3.黒白の果をもたらす黒白の業
時々幸せで、時々不幸になるような善悪を混ぜて行った業の結果。
厳密に言えば同時に善悪を行うことは出来ませんが、普通の人はいつも良いことばかりしているわけでもなく悪いことばかりしているわけでもありません。
註釈によると
昔、裁判官が賄賂を受け取って判決を下していました。ある女性が布薩戒を守っている朝、裁判官がマンゴーをその女性にお布施したそうです。
その布薩日に王が家来たちに布薩戒を守ってますかと聞くと、その中にいた裁判官が布薩戒を守っていないというのが恥ずかしいので、聞かれた後からその日だけ布薩戒を守りました。
死後、マンゴーの木の上に宮殿がある餓鬼になりました。昼の間は宮殿で幸せに暮らし、夜が来ると天人のような体から恐ろしい餓鬼の体になり、自分の長い爪で自分の背中の膿を掻き苦しみました。
そしてまた朝になると木の上の宮殿で天人のように過ごし、また夜になると苦しみます。
賄賂を受け取り不正な判決をしていた悪業によって夜の間、餓鬼として苦しみ、餓鬼の生でもマンゴーをお布施し布薩戒を一日だけ守った功徳によって日中は天人のように過ごせました。
4.非黒非白の果をもたらす非黒非白の業、業の滅尽に導く
八正道によるヴィパッサナー瞑想実践(厳密に言えば出世間心、悟りの心)
詳しくはパーリ仏典 中部・中分・第57 片山一良訳 大蔵出版をご覧ください。
分かりにくい説明が続きましたが、簡単にまとめると日常読誦経典p.22の諸仏の教えです。
自分が実践しているヴパッサナー瞑想法以外をすべて戒禁取見に入れる人がいますが拡大解釈は本人のためにはならないと思います。気をつけましょう。