2009年9月18日金曜日

テーラワーダ仏教の預流者とは

アビダンマッタサンガハのアラナ精舎での勉強会が終了いたします。

アラナ精舎での最後の回はヴィパッサナー冥想の智恵の進歩や解脱についてです。

それに合わせて今回のブログではテーラワーダ仏教の悟りについて質問に答えるかたちで伝統的な解釈を説明したいと思います。




質問:人間界しか悟ることはできないのですか?



三因なら人間界以外でも欲界天、色界天、無色界天でも悟ることができますが、無色界天は悟る条件の一つに法を聞くとありますので物質のない無色界天は預流道の悟りを得ることができません。
それ以外は可能です。

ただ人間界は苦と楽のバランスがとれていて修行しようという気持ちが生じやすいのは確かです。

釈尊が説法すると多くの神々が悟ったなどと記述がありますし、菩薩が生まれて一週間で亡くなられたマーヤー夫人の生まれ変わりである天人に説法するためにアビダンマを天界で説き、悟ったなどともあります。




質問:預流者でも五戒を破ることはありますか?



預流道智を得ると悪趣に行くような不善心は起こりません。

五戒を破ることは悪趣に行くような業を作ります。
ですから本物の預流者なら五戒は絶対に破りませんし、そのような不善心が起こらないのですから努力して守るレベルではなく自然に守れます。

たまに自分は預流者だと思っている人がいますが、五戒を破るような気持ちが起こるか自分でチェックしてください。

他の宗教ならなんといっても結構ですがテーラワーダ仏教はこうなってます。
預流果でも酒を飲むと主張していた人は自分がお酒が好きだったなどという話もあります(笑)



参考に12ある不善心の中で悪見相応貪根心4と疑相応痴根心1を完全に取り除き、残りの不善心も悪趣に生まれ変わるような強い不善心は生じません。

預流道を得ると聖者です。道智は預流果の心が生じる前に一心刹那一回だけ生じるだけです。

ですから私は預流道(向)だというと笑われますよ。

悟っていない預流向など問題外です。

長部(ディーガニカーヤ)大篇〈2〉 (パーリ仏典)
p.73

「私は一来者への願いが確立しています」という言葉を道(向)と解釈する人がいるようですが、伝統的な
意見ではありません。註釈書によると一来道のために観vipassanaを開始している・・・・とあります。



三種類の預流者を説明します。

極七返預流者 欲界に七回転生して涅槃に入る預流者、

家家預流者 次生から六生目までの間に涅槃に入る預流者

一種預流者 一度だけ転生した後、涅槃に入る預流者


一種預流者を一来者と勘違いしている人もいますが別物です。
なぜ勘違いするかと言えば、生まれ変わりだけに目を向けるからで道智が何回生じたかとみれば間違えることはありません。

同じお経で

ここから七回
そこから七回
十四回の輪廻があります
私が以前住んでいた
その住処を憶えています

の詩ですが過去生を語ったものでこれから十四回生まれ変わるという意味ではありません。
このように何度も生まれた場所なので本来もっと高い天界に生まれ変われる善業はあるが、執着によってこの天界に生まれたと説明するためのものです。


預流者になると仏法僧に対する信が不動になり、対応する煩悩を道智によって取り除くので五戒を努力なしに守れます。

ですから生まれ変わった先で、教わることなく自然と五戒を守れるのです。
自分が生まれてから一度も五戒を破ろうと思ったこともなく、破っていないなら前世で預流者にだったかもしれませんね(笑)


幸せでありますように。