ある時、世尊はコーサンビ国のガンジス河の岸で比丘たちと過ごされていました。
その時、大きな丸太が流れてきました。その丸太を見た世尊は
「比丘たちよ。ガンジス河に沿って流れてきた丸太を見ましたか?」と質問すると
比丘たちは「見ました。世尊よ。」と答えました。
世尊は「比丘たちよ。もし、この丸太が
① 河のこちらの岸に上がらなければ
② 河の向こう岸に上がらなければ
③ 河の中ほどで沈まなければ
④ 中州に上がれなければ
⑤ 人が引き上げなければ
⑥ 神が引き上げなければ
⑦ 渦に巻き込まれなければ
⑧ 丸太の中が腐れなければ
大海まで至るであろう。なぜならこの丸太が流れているガンジス河は大海へと流れており、向かっている。だから大海に至るであろう。
比丘たちよ。この丸太のように貴方たちも
① 河のこちらの岸に上がらなければ
② 河の向こう岸に上がらなければ
③ 河の中ほどで沈まなければ
④ 中州に上がれなければ
⑤ 人が引き上げなければ
⑥ 神が引き上げなければ
⑦ 渦に巻き込まれなければ
⑧ 丸太の中が腐れなければ
涅槃を確実に実現できるでしょう。なぜなら貴方たちが信じ頼りにする正しい見解という正見は涅槃へと向かっています。ですから確実に涅槃を実現できるでしょう。」と説かれました。
釈尊がこのように説かれた時、ある比丘が手を合わせて礼拝し「世尊よ。世尊が説かれたこの岸などという例えは大変奥深く、私たちの知恵では理解できません。ですからもう少し分かりやすく例えを説明してください」とお願いしました。
その時、世尊が
① この岸とは眼耳鼻舌身意という六内処です。
② 向こう岸とは色音香味触法という六外処です。
③ 流れの中に沈むとは喜貪です。
④ 中州に上がるとは高慢になるなどの慢です。
⑤ 人が引き上げるとは人間の生に執着することです。
⑥ 神が引き上げるとは神々の生に執着することです。
⑦ 渦に巻き込まれることは色貪、声貪、香貪、味貪、触貪に執着し逃れられなくなることです。
⑧ 中が腐るとは、外はきれいに見えても中が腐っているように、ある人は見た目がよく本当に戒、定、慧の三学に満たされているような人に見えても、しかし、見えないところで悪行を行っているので、そのような人から悪い噂が流れてきます。そのような人を中が腐っている丸太に例えています。
この丸太の例えの経によると輪廻という河の中を流れている丸太に例えられる有情は、涅槃という大海に至らないように邪魔をする八つの障害があると知るべきです。
この八つの自性をみると貪、慢の二つの法と言えます。貪と慢があれば涅槃に至ることはできません。輪廻を回り続けるということです。
次回は輪廻を続けさせる法についてです。