アラナ精舎のアビダンマッタサンガハの勉強会がやっと八章の終りに近づきました。
八章は縁について解説されており非常に難しい所です。
その中の業については興味がある人が多いと思いますので例えで紹介してみます。
分からない用語はとばしてください(笑)
これは例えですので本当に何か変化しないでどこかの空間(アカシックレコード?)や心 (アラヤ識、マナ識?)に蓄積されていると思われると困るのですが例えを使ったほうが理解しやすいと思いますのでその点をご理解ください。
二つのタンクに水が溜っていて一つの蛇口のノブをひねると黒い汚れた水が出(不善業の異熟)、
もう一つの蛇口のノブをひねるときれいな水がでます。
(善業の異熟)
タンクの中黒い汚れた水は過去の不善業、
もう一つのタンクの中のきれいな水は善業の例えです。
(業とは善、不善の心に伴う思心所です。この思心所に身口意の行為の原因となる力がありそれが心の連続の中に潜在力として残り将来の業果、異熟という結果を与えると言われています)
二つのタンクの水は基本的に過去世の善業、不善業によって溜ります。
それは前世かもしれませんが100万生前かもしれませがどんどん溜り続けています。
また蛇口のノブをひねることは現世においての善業、不善業の例えでもあります。
蛇口のノブをひねることは今出ている水とは関係ありませんが、
(蛇口のノブをひねること自体が今出ている水を創造しているわけでないという意味です)
来世以降使える水がタンクの中に、蛇口のノブをひねる力加減によって溜ります、
今の善業は過去の善業を引き出す支持業
(自分自身では異熟を結ぶことはないが、他の業が異熟をもたらす際にはその機会を与え、また他の業の作る異熟の勢力を盛んなるようにその業に力を貸し、他の業が異熟を結んだあとには、その異熟が長く存続するように援助する業)
や不善業への妨害業
(令生業に異熟をもたらすための機会を与えない。或いは既に機会を得ている場合には、そのもたらす異熟の勢力の力が弱まるように令生業の力を削ぐ。或いは既にある異熟が持続しないように妨害する業)となり、
その今の善業自体は来世以降の令生業(結生時、或いは生起時に異熟心・心所、業生色などを生じさせる業)なります。
また今の不善業は過去の不善業を引き出す支持業や善業への妨害業となり、
その今の不善業自体は来世以降の令生業となります。
今生の善、不善の業が今生で直接結果を与えるのは非常に稀です。
現法受業(現世で直ぐに結果を与える業 例:滅定からでた阿羅漢にお布施し急に今生の業の力によってお金持ちになるような業、阿羅漢の比丘尼を強姦し急に死ぬような業)や出世間の道心の業です。
現法受業は条件が難しく簡単に生じるものではありませんし、
出世間の道心(善心)は凡夫から聖者に生まれ変わるぐらなような強いものですからこれも特別で出世間の果心(異熟心)を、間をあけることなく生じさせます。
黒い水のタンクにつながる蛇口のノブをひねらずに、きれいな水につながるタンクを蛇口のノブをひねり続け、最後には両方の蛇口のノブを壊して水が出なくしまうことによりどんなに水が残っていようが関係なくしてしまします。
この蛇口の特徴はノブとは関係なく勝手に漏れてくる場合があることです。
人によっては良いことばかりやっていても悪いことが立て続けに起こる場合があります。
ノブをひねらなくとも黒い水が漏れ出ています(笑)
悪いことばかりやっていても良いことが立て続けに起こる場合もあります。
ノブをひねらなくともきれいな水が漏れ出ています(笑)
ですから蛇口のノブをひねることができないようにした阿羅漢でも漏れ出た水である色々な業の結果を生きている限り受け続けるというわけです。
書いているうちにだんだん無理がある例えだと思いましたが参考になれば幸いです(笑)