2009年1月20日火曜日
テーラワーダ仏教(ビルマ式?)の葬儀やお墓についてご紹介
2009年1月19日月曜日
食事のお供えについて
質問:お供えした食事は食べてはいけないのですか?
答え:何人かの長老に確認しましたが、
私が聞いた限りはお供えしたものを食べたらいけないという長老は
ミャンマーでは一人もいません。
スリランカのお寺、正山寺でも下げたものを食べています。
食べると徳があると信じているビルマ人信者もいます。
問題は12時以降に置きっぱなしにしないように注意すること。
戒律で正午過ぎにたべるのが禁じられているのでお供えもそれまでに下げます。
その他にも果物などを丸ごとだす。
(見栄えが良いように飾っているなら別ですが)
神棚にお供えしているわけではありません。
お客さんが来たら果物を丸ごと出しませんよね、
まだ熟していないので置いているだけ?(笑)
ひどい場合、日本では一升瓶がお供えしてあります。
お菓子などを箱から出さないなども
三蔵護持者のウィセッタサーラビィヴァンサ大長老が批判するのを読んだことがあります。
(果物を飾っているのはミャンマーでもよく見られます)
信者さんによっては本当に一人の人間が食べるぐらいの量をお供えして、
それを托鉢に来た比丘にお布施し、二度功徳を得ます。
ネコババではないと思いますが・・・
本人が食べなくても動物に与えるのは当たり前です。
日本は勝手に動物に与えると迷惑条例で捕まるかもしれませんの自己責任でお願いします。
お供えをゴミ箱行きしていたら、もし釈尊が在命中でしたら喜ぶでしょうか?
佛歯寺だったか分かりませんが100人ぐらい食べれそうな量を毎日お供えするそうです。
それも捨てているのでしょうかね?
お供えしたものは食べてはいけない理由がわかりませんが、
長部の大涅槃経や中部の法相続経からでしょうか。
意味が違うと思いますよ。
自分が後で食べようと思ってお布施しても意味が無いと思うなら
自分で食べずに別の生命の与えたほうが良いでしょう。
私の記憶があいまいなので出典が分かりませんが、
釈尊のお食事中にビンビサーラ王が来て、
王が食べたそうにしているのを釈尊が知り残りを食べさせた話を聞いたことがあります。
ただ比丘が食事を与えていい在家は限定されているので、
その中に入るようにお寺の掃除などをしたり
仏壇の周りを掃除するなど仏教のために働いた後に
お供えのお下がりを食べるように勧める長老もいます。
比丘が食事などを与えていい在家
寺で雑事をしている在家
まずいし両親
王、盗賊などです。
王や盗賊は怒らせると怖いのでご馳走しても良い。(笑)
貧しい両親は恩を返すために托鉢してでも面倒を見るべきだといわれています。
お寺のために働いている人などです。
まあ、どうでも良いことですが
ご参考までに。
ただでさえ更新しなのですが、
野暮用で一ヶ月ほど更新できません。
一ヵ月後から定期的に更新する予定です。
お楽しみに。
幸せでありますように
2009年1月11日日曜日
2009年1月6日火曜日
前世において為された福業
先日、吉祥経の中の「前世において為された福業Pubbe katapuññtæ」とはどういうことかと質問がありました。
今生において経済的など豊かな家に生まれる、地頭が良い、容姿端麗、家系が良い(皇室など)、人気があるなどは過去の功徳が大きく影響を与えます。仏教は宿命論ではないので今生の努力や色々な条件で変わってくるものも当然あります。
有名な護経の解説書を調べるとほとんど説明が無く、その代わり吉祥(めでたい、良い兆し)とは何かと説明があました。その紹介は別の機会にいたします。
簡単ですが吉祥経の云われの説明をいたします。(日常読誦経典p.63)
神々が12年考えて答えが出なかった吉祥とは何かをお釈迦様に質問して、お答えになったお経です。
例えば初日の出を拝むと吉祥だ(縁起が良い)、鶏の鳴き声を朝一番に聞く、白い牛を見るなどその国の文化で吉祥というものがあります。しかし、それは迷信的なものばかりで本当の吉祥とは何かをお釈迦様が答えた38種の中に「前世において為された福業」というものが含まれています。
仏教では人間に生まれ、仏教に興味を持ち、さらに冥想実践するような人は「前世において為された福業」があるいえると思います。
ですから今生でまた功徳を積めば来世でまた同じように「前世において為された福業」をもって生まれることができ、吉祥がある人になることが出来ます。
福業とは簡単に
布施(執着から離れ、他に物などを与えること)
持戒(五戒などの戒を守ること)
修習(慈悲の冥想や、ヴィパッサナー冥想などの実践)
敬愛(尊敬に値する人を尊敬すること)
作務(他の人の善行を手伝うこと)
回向(自己の得た功徳を他に施すこと)
随喜(他人の善行を知ってともに喜び、受けること)
聴法(法を聞く、ためになることを聞く)
説法(法を説く、ためになる知識を教える)
見直業(正しい教えを信じ、見解をただすこと、因果の法則などを信じる)
今年も皆様が福業を実践することによって
吉祥に満たされますようにと願っています。
【追伸】
今日、畳店をなさっている会員の方が、精舎の畳が古くなっているので新しい畳をお布施してくれるためにはサイズを測りに来てくれました。とりあえず40年ほど使っているものを新しくものに取り替えてくれるそうです。
お布施なさった方を始め、生きとし生けるものが幸せでありますように。