2011年5月20日金曜日

我々は本当に自分で決めているのか?

「予想通りに不合理」の著者である、行動経済学者ダン・アリエリーは昔ながらの視覚的錯覚や彼独自の思いもよらぬ(時にショッキングな)研究結果を用い、人が何かを決断する際、自分で思っているほど合理的ではないことを証明します。
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仏教で問題なのは認識することにより貪・瞋・痴・邪見などの不善心が生じることです。
例えば鶯の鳴き声を聞いてその音をあるがままに音と認識できずに、「鶯の鳴き声」と判断しても「判断している」と確認すればいいだけです。瞑想中は思考や名称などが生じずに気づく事ができればベストでしょうが、できなくても不善心の流れが始まらなければ問題ありません。
錯視の例が紹介されていますが、認識を変える事は難しそうです(笑)