今年もお正月は中止いたします。
インド文化圏ですと4月頃、
中国は旧正月で太陽暦1月1日は新年ではありません。
ミャンマーではクリスマスは祭日ですが元旦は平日で仕事です。
お祭り好きな日本人は全部祝えば良いと思いますが、
何か良い習慣を作るために、始めるのには良い日です。
毎日、瞑想することや五戒を守ることなど。
何か勉強を始めるのも良いでしょう。
子供の頃、ノストラダムスの大予言がベストセラーになって
テレビで特集などがあり、子供とき漠然と世紀末には自分は死ぬんだと
思った記憶があります。(笑)
その後、新聞で1900年頃も彗星が地球にぶつかるなどと騒ぎになったことを
紹介している記事を読んで、人間は同じことの繰り返しをやっているんだと思い
信じなくなりました。
新宗教は恐怖をあおって信心をおこさせる手段を使いますが、
まともな伝統的な教えならまだしも、詐欺みたいなものが多く
宗教嫌いな日本人を増やす原因になっていると思います。
悪いことをさせないために脅すならまだしも、
洗脳するためや、お金を巻き上げるのに使っています。
エホバの証人は何度も世紀末が来ると言って外れてばかりです。
それでも信じ続ける信者が多いので、洗脳するのが上手なのでしょう。
韓国の新宗教で予言が外れたとたんに止めた人をテレビで見たことがあります。
キリスト教はイエスの時代に本当に終末がくると思っていたようです。
2000年後にくると当時は思っていたのではなく、
すぐに来ると思っていたそうです。
日本でも末法思想などがあります。
【脅しより理解】
タバコの害は吸う本人は分かっていると思いますが、
習慣になってしまうと止めることができません。
本当に悪いと分かれば、止めれるのかもしれませんが、
習慣に負けてしまいます。
仏教で言えば分からないのが無明、
吸い続けるのが渇愛です。
周りからガンになると脅されて止めるより
自分で理解して止めた方がうまく行きそうです。
最近大麻などで捕まる人がいますが、
犯罪と分かっていても、捕まらないだろうと思い込む無明、
薬物による快感を求める渇愛。
警察に捕まるからと怖がって使わないのではなく、
本当に薬物中毒になったときの害を理解し手を出さない人が多ければ良いのですが。
合法なら試したい人が多いと思います。
五戒の中に不飲酒戒があります。
破ると地獄に堕ちると言われて守るより
知恵を持って守ることができればと願っています。
2008年12月31日水曜日
2008年12月30日火曜日
2008年12月29日月曜日
果と異熟の違いについて
【果と異熟の違いについて】
12月28日のダンマサークルで話題になったそうで、少しコメントいたします。
論旨がずれていたらおゆるしください。
殺生をすると地獄に落ちるなどといいます。
kāyassa bhedā paraṃ maraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjati.
阿羅漢を殺すなどしてすぐに地獄に落ちる話がありますが、
地獄に落ちることは来世の話です。
今生では急死するでしょう。
アビダンマでは異熟とは異熟心とその心と同時に生じる心所のことです。
過去の善、不善の行為の結果の心です。
厳密に言うと業生色も含まれません。
過去とは今、瞬間すぎた過去から100億年前の前世など色々です。
しかし、異熟の定義上は過去生からで今生は含みません。
今生の善。不善の行為は来世から結果をもたらします。
例えば飲酒運転で人身事故を起こし刑務所に入るとします。
飲酒が原因で異熟が刑務所に入るという言い方はしません。
仏教的に言えば飲酒により、悪いと地獄に落ちる、軽いと来世で頭が悪くなるなどとあります。
(笑、私も過去生で相当飲んでいたかもしれません)
飲酒して運転しても(止めてください)無事に家につくこともあります。
人身事故をおこさなくとも来世で頭が悪くなるかもしれません。
しかし、日本語では善因善果(多分楽果の間違いだと思います)
悪因悪果(苦果)で悪い結果が今生で起こるのも今生の悪い行為によると思われるでしょう。
普通の言葉上は問題ないと思いますが、アビダンマでの定義の問題です。
何か種を植えると芽がでます。芽は種を縁として生じていますが異熟とは言いません。
芽が大きくなって実って植えたものと同じ種類の種が出来ると、それを異熟と言います。
悪い行為などを縁として今生で結果が起こります。
しかし、その結果はその行為の異熟ではありません。
次回、アラナ精舎のアビダンマで説明しますが、
人間・天人に色界、無色界異熟心はどんなに修行しようと絶対に今生では生じません。
禅定を得て生じるのは色界、無色界善心または阿羅漢になれば色界、無色界唯作心のみです。
色界、無色界異熟心は結生・有分・死の働きですので、それを考えれば答えは出ます。
もっと分かりやすい説明ができればいいのですが、
アビダンマの専門の長老に聞いてみます。
1+1=2という簡単な理由は何かご存知ですか?
色々難しいこと言わなくても、簡単な答えは
「そう決めた」だそうです。
ある宗教団体の教祖は釈尊の生まれ変わりだそうです。
日本は信教の自由があるので、勝手に言ってればいいと思いますが、
テーラワーダ仏教の定義では仏陀、阿羅漢は二度と生まれ変わりません。
信じていない人にはこの定義は意味を成しません。
生まれ変わった本人が言っているんだから、経典が間違っていると思っているのでしょう。
テーラワーダ仏教では勝手な解釈はしません。
まず経典や註釈から見て信憑性があるか?
常識から見て信憑性があるか?
伝統的な解釈を知った上で別の考えを持つのはいいと思いますが
何も知らずに勝手に考えるのは、それば別の宗教になってしまいます。
幸せでありますように。
2008年12月28日日曜日
改装終了の報告とごあいさつ
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