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2009年2月12日木曜日

戒禁取見について

戒禁取見について

アラナ精舎の近くで梅が咲いていました。





日常読誦経典p.35

「無意味な苦行やあらゆる宗教儀式・儀礼。預流果を得ると、これらは解脱に至らない道だと分かる。」

とあります。

【無意味な苦行】

ミャンマーで火を使った食べ物を食べない行、果物だけたべる行、たぶん嘘でしょうけど砂を食べているという人もいます()。シェーダゴンパゴダにも天気の良い日に太陽を見つめる女性の行者が見かけたことがあります。経典の中には暑いに中に、まわりに焚き火をして真ん中に座る修行が紹介されています。

 

【あらゆる宗教儀式・儀礼】

あらゆる宗教儀式・儀礼が悟りに導くと思わなければ問題はあまりないと思います。

アラナ精舎は岸和田で「だんじり祭り」がありますが、それが悟りに導くと思ってやっている人はいないと思います。謂れは何か知りませんが豊作や無病息災を願っているのでしょうか?

祭りをやっても豊作や無病息災がかなうとは思いませんが、文化や習慣として受け取れば問題ないと思います。

正月は初詣、二月は豆まきなどで幸せになるとは思いませんが、目の敵にする必要は無いでしょう。

ですから伝統や習慣を否定しているのではなくその意味を正しく理解すればいいでしょう。

 

アメリカで布教していたシーラーナンダ長老が仏教徒の葬式に呼ばれ説法しました。

亡くなった人の子供たちはほとんどキリスト教になっていて葬式で法話を聞かなかったそうです。

自分の親の信じていた仏教でお葬式をやっていて、たとえ自分が信じていなくとも親のために参加するのがそんなに悪いことで、彼らが信じている神はそんなにうるさいのかと話していました。

 

【犬行者経】

中部経典、犬行者経に犬や牛のようなまねをしていれば天に生まれ変わることが出来るという邪見をもって実践をしている二人の行者がお釈迦様に自分たちの修行の結果を三度尋ねました。

お釈迦様が「もし犬のような実践をしていたらうまくいけば次の生で犬になるでしょう。犬にならなければ地獄に落ちるでしょう」とお答えになりました。

その後、四つの業について説かれ

1.         黒い果(結果)をもたらす黒い業(行為)

2.         白い果をもたらす白い業

3.         黒白の果をもたらす黒白の業

4.         非黒非白の果をもたらす非黒非白の業、業の滅尽に導く

 

1.黒い果(結果)をもたらす黒い業(行為)

殺生、偸盗、姦淫、妄語、綺語、悪口、両舌、貪欲、瞋恚、邪見など

アビダンマ的に言えば12の不善心を伴った身・口・意の業

 

2.白い果をもたらす白い業

1番の反対の良い行為、過去の良い行為によって良い結果が得られる、今生で人間に生まれ仏教に出会え、それを理解できる知恵があるのも過去の行為の良い結果です。

アビダンマ的に言えば17の善心を伴った身・口・意の業

布施、持戒、修習(欲界修習、色界禅、無色界禅)

ヴィパッサナー瞑想も涅槃に導く修行法ですが厳密に言えば悟るまではこの2番に入ります。

 

3.黒白の果をもたらす黒白の業

時々幸せで、時々不幸になるような善悪を混ぜて行った業の結果。

厳密に言えば同時に善悪を行うことは出来ませんが、普通の人はいつも良いことばかりしているわけでもなく悪いことばかりしているわけでもありません。

註釈によると

昔、裁判官が賄賂を受け取って判決を下していました。ある女性が布薩戒を守っている朝、裁判官がマンゴーをその女性にお布施したそうです。

その布薩日に王が家来たちに布薩戒を守ってますかと聞くと、その中にいた裁判官が布薩戒を守っていないというのが恥ずかしいので、聞かれた後からその日だけ布薩戒を守りました。

 

死後、マンゴーの木の上に宮殿がある餓鬼になりました。昼の間は宮殿で幸せに暮らし、夜が来ると天人のような体から恐ろしい餓鬼の体になり、自分の長い爪で自分の背中の膿を掻き苦しみました。

そしてまた朝になると木の上の宮殿で天人のように過ごし、また夜になると苦しみます。

賄賂を受け取り不正な判決をしていた悪業によって夜の間、餓鬼として苦しみ、餓鬼の生でもマンゴーをお布施し布薩戒を一日だけ守った功徳によって日中は天人のように過ごせました。

 

4.非黒非白の果をもたらす非黒非白の業、業の滅尽に導く

八正道によるヴィパッサナー瞑想実践(厳密に言えば出世間心、悟りの心)

 

詳しくはパーリ仏典 中部・中分・第57 片山一良訳 大蔵出版をご覧ください。

分かりにくい説明が続きましたが、簡単にまとめると日常読誦経典p.22の諸仏の教えです。

 

自分が実践しているヴパッサナー瞑想法以外をすべて戒禁取見に入れる人がいますが拡大解釈は本人のためにはならないと思います。気をつけましょう。



2009年1月6日火曜日

前世において為された福業

先日、吉祥経の中の「前世において為された福業Pubbe katapuññtæ」とはどういうことかと質問がありました。

 

今生において経済的など豊かな家に生まれる、地頭が良い、容姿端麗、家系が良い(皇室など)、人気があるなどは過去の功徳が大きく影響を与えます。仏教は宿命論ではないので今生の努力や色々な条件で変わってくるものも当然あります。

有名な護経の解説書を調べるとほとんど説明が無く、その代わり吉祥(めでたい、良い兆し)とは何かと説明があました。その紹介は別の機会にいたします。

簡単ですが吉祥経の云われの説明をいたします。(日常読誦経典p.63)

神々が12年考えて答えが出なかった吉祥とは何かをお釈迦様に質問して、お答えになったお経です。

例えば初日の出を拝むと吉祥だ(縁起が良い)、鶏の鳴き声を朝一番に聞く、白い牛を見るなどその国の文化で吉祥というものがあります。しかし、それは迷信的なものばかりで本当の吉祥とは何かをお釈迦様が答えた38種の中に「前世において為された福業」というものが含まれています。

仏教では人間に生まれ、仏教に興味を持ち、さらに冥想実践するような人は「前世において為された福業」があるいえると思います。

ですから今生でまた功徳を積めば来世でまた同じように「前世において為された福業」をもって生まれることができ、吉祥がある人になることが出来ます。

福業とは簡単に

布施(執着から離れ、他に物などを与えること)

持戒(五戒などの戒を守ること)

修習(慈悲の冥想や、ヴィパッサナー冥想などの実践)

敬愛(尊敬に値する人を尊敬すること)

作務(他の人の善行を手伝うこと)

回向(自己の得た功徳を他に施すこと)

随喜(他人の善行を知ってともに喜び、受けること)

聴法(法を聞く、ためになることを聞く)

説法(法を説く、ためになる知識を教える)

見直業(正しい教えを信じ、見解をただすこと、因果の法則などを信じる)

 

今年も皆様が福業を実践することによって

吉祥に満たされますようにと願っています。


【追伸】

今日、畳店をなさっている会員の方が、精舎の畳が古くなっているので新しい畳をお布施してくれるためにはサイズを測りに来てくれました。とりあえず40年ほど使っているものを新しくものに取り替えてくれるそうです。

お布施なさった方を始め、生きとし生けるものが幸せでありますように。

2008年12月29日月曜日

果と異熟の違いについて

【果と異熟の違いについて】
12月28日のダンマサークルで話題になったそうで、少しコメントいたします。
論旨がずれていたらおゆるしください。

殺生をすると地獄に落ちるなどといいます。

kāyassa bhedā paraṃ maraṇā apāyaṃ duggatiṃ vinipātaṃ nirayaṃ upapajjati. 

阿羅漢を殺すなどしてすぐに地獄に落ちる話がありますが、
地獄に落ちることは来世の話です。
今生では急死するでしょう。

アビダンマでは異熟とは異熟心とその心と同時に生じる心所のことです。
過去の善、不善の行為の結果の心です。
厳密に言うと業生色も含まれません。

過去とは今、瞬間すぎた過去から100億年前の前世など色々です。
しかし、異熟の定義上は過去生からで今生は含みません。
今生の善。不善の行為は来世から結果をもたらします。

例えば飲酒運転で人身事故を起こし刑務所に入るとします。
飲酒が原因で異熟が刑務所に入るという言い方はしません。
仏教的に言えば飲酒により、悪いと地獄に落ちる、軽いと来世で頭が悪くなるなどとあります。
(笑、私も過去生で相当飲んでいたかもしれません)
飲酒して運転しても(止めてください)無事に家につくこともあります。
人身事故をおこさなくとも来世で頭が悪くなるかもしれません。

しかし、日本語では善因善果(多分楽果の間違いだと思います)
悪因悪果(苦果)で悪い結果が今生で起こるのも今生の悪い行為によると思われるでしょう。

普通の言葉上は問題ないと思いますが、アビダンマでの定義の問題です。

何か種を植えると芽がでます。芽は種を縁として生じていますが異熟とは言いません。
芽が大きくなって実って植えたものと同じ種類の種が出来ると、それを異熟と言います。


悪い行為などを縁として今生で結果が起こります。
しかし、その結果はその行為の異熟ではありません。

次回、アラナ精舎のアビダンマで説明しますが、
人間・天人に色界、無色界異熟心はどんなに修行しようと絶対に今生では生じません。
禅定を得て生じるのは色界、無色界善心または阿羅漢になれば色界、無色界唯作心のみです。
色界、無色界異熟心は結生・有分・死の働きですので、それを考えれば答えは出ます。

もっと分かりやすい説明ができればいいのですが、
アビダンマの専門の長老に聞いてみます。

1+1=2という簡単な理由は何かご存知ですか?
色々難しいこと言わなくても、簡単な答えは
「そう決めた」だそうです。

ある宗教団体の教祖は釈尊の生まれ変わりだそうです。
日本は信教の自由があるので、勝手に言ってればいいと思いますが、
テーラワーダ仏教の定義では仏陀、阿羅漢は二度と生まれ変わりません。

信じていない人にはこの定義は意味を成しません。

生まれ変わった本人が言っているんだから、経典が間違っていると思っているのでしょう。

テーラワーダ仏教では勝手な解釈はしません。
まず経典や註釈から見て信憑性があるか?
常識から見て信憑性があるか?
伝統的な解釈を知った上で別の考えを持つのはいいと思いますが
何も知らずに勝手に考えるのは、それば別の宗教になってしまいます。

幸せでありますように。